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東京地方裁判所 平成8年(ワ)16714号 判決 1998年7月29日

原告

伊藤公勇

被告

株式会社宮脇運輸

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して金三〇六万〇二五三円及びこれに対する平成六年一〇月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告渡辺享は、原告に対し、金三万〇四六七円を支払え。

三  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、五分の一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

五  この判決は、原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して金一五一一万〇四六七円及び内金一三八一万〇四六七円に対する平成六年一〇月二〇日から、内金一三〇万円に対する本判決確定の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、信号機による交通整理が行われている交差点の片側三車線の道路の左側車線を走行していた普通貨物自動車が、その前を進行していた左折車両を避けるために、右にハンドルを切ったところ、中央の車線を走行していた原動機付自転車と接触して原動機付自転車が転倒した交通事故について、原動機付自転車の運転者が、加害車両の運転者に対しては民法七〇九条に基づき、その所有者に対しては自賠法三条に基づき、損害の賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠を掲げない事実は争いがない。)

1  交通事故(本件事故)の発生

(一) 発生日時 平成六年一〇月二〇日午後五時〇五分ころ

(二) 発生場所 東京都品川区荏原四丁目五番七号先道路上

(三) 加害車両 被告渡辺享が運転していた普通貨物自動車(習志野一一と五五六四)

(四) 被害車両 原告が運転していた原動機付自転車(車両番号品川区そ二二八七)

(五) 事故態様 本件事故発生場所である信号機による交通整理の行われている交差点において、左折しようとする前の車両を避けようとして右にハンドルを切った加害車両が、後方から進行してきた被害車両に接触して被害車両が転倒した。

(六) 結果 原告は、本件事故により右肘頭部骨折、右肘関節拘縮の傷害を負い、被害車両には修理代として三万〇四六七円を要する損傷が生じた。

2  責任原因

被告有限会社宮脇運輸は、加害車両を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条に基づき、本件事故により原告に生じた損害を賠償する義務がある。

3  通院経過

原告は、本件事故後、次のとおり通院治療を受けた(甲二、乙二の2、四)。

(一) 昭和大学病院 平成六年一〇月二〇日から同月二八日(実通院三日)

(二) 児玉整形外科病院 平成六年一一月七日から平成七年一〇月二〇日(実通院二四三日)

4  既払

原告は、本件事故に基づく損害賠償として、被告宮脇運輸が加入する自賠責保険から一二〇万円、被告らから七〇万円の支払を受けた。

二  争点

1  過失相殺の有無・程度

(一) 被告の主張

加害車両は、本件事故発生場所である交差点の手前において、信号機に従って先行車両に続いて最も左側の車線に停止していたものである。その後、信号の表示が変わって先行車両に続いて発進しようとした際、左折する先行車両の後部を避けるため被告渡辺享がハンドルをわずかに右に切った。そこへ道路交通法二〇条一項(原動機付自転車は、左側車線を通行しなければならない)に違反して後方から進行してきた被害車両に接触したものである。

したがって、原告には、前方不注視、通行帯違反の過失があるから相当の過失相殺がなされるべきである。

(二) 原告の反論

被害車両は、本件事故発生場所である交差点手前の片側三車線のうちの中央車線の中央よりやや左側を走行し、青信号に従ってそのまま交差点を直進しようとした。ところが、左側車線の原告の斜め前方を被害車両と同方向に走行していた加害車両が交差点に進入し、被害車両の直近で右合図も出さずに突然ハンドルを右に切って被害車両の前方に出たため、被害車両はこれを避けることができず、加害車両と接触してしまったものであるから、原告には何らの過失もない。

2  本件事故と相当因果関係のある治療期間

3  休業損害(原告の役員報酬のうち労務の対価分はいくらか、本件事故と相当因果関係のある休業期間)、逸失利益(後遺障害の有無)を中心とした各損害額(ただし、争いのない加害車両修理代を除く)

第三争点に対する判断

一  過失相殺の有無・程度(争点1)

1  前提となる事実及び証拠(乙一の1・2、六、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件事故の態様について、次の事実が認められる。

(一) 本件事故現場は、南方向の丸子橋方面と北方向の五反田方面を結ぶ中原街道と西方向の目黒通りと東方向の第二京浜国道方面を結ぶ道路が交差する交差点(本件交差点)である。本件交差点は、信号機による交通整理の行われている交差点であり、中原街道は幅員四メートルの歩道に接しており、本件交差点の南側で、かつ、丸子橋方面から五反田方面に進行する車線は片側三車線であり、各車線の幅員は、歩道寄りである西側から順に三・三メートル、三・五メートル、三・二メートルである。

(二) 被告渡辺享は、平成六年一〇月二〇日ころ、加害車両を運転して中原街道の最も歩道よりの車線を丸子橋方面から五反田方面に向かって進行し、本件交差点の手前にさしかかった。加害車両は、本件交差点の五反田方面に向かう信号機の表示に従って、先行車両二台に続いて本件交差点の手前で停止した。他方、原告は、被害車両を運転して中原街道の最も歩道寄りの車線を、加害車両と同じ方面に向かってそれよりも後方で走行していた。

(三) 原告は、本件交差点の手前にさしかかり、本件交差点の五反田方面に向かう信号は青色になっていたが、最も歩道寄りの車線は左折しようとする車両が多く渋滞していたため、中央車線に車線変更し、その車線内のやや左側を時速約二五キロメートルから三〇キロメートルで直進した。被告渡辺享は、先行車両二台が続いて左折したため、軽くブレーキを踏んでハンドルを右に切ったところ、加害車両の右側部が、中央車線を走行してきた被害車両に接触し、本件交差点中央よりやや西側の地点で停止した。原告は、接触により右側に転倒し、加害車両が停止した地点のやや右前方に放り出された。

なお、この認定に対し、被告渡辺享の陳述書(乙六)には、被害車両に接触したか否かわからないとの記述がある。しかし、被告渡辺享が立ち会った実況見分において、加害車両と被害車両が接触した旨の指示説明がなされており、衝突部位もおおむね特定されていること(乙二の1)に照らすと、この記述を直ちに採用することはできない。もっとも、被告渡辺享の陳述書には、加害車両には被害車両と接触した傷はなく、被告渡辺享が立ち会った実況見分において特定された衝突部位は、警察官が被害車両のハンドルの高さと本件事故発生前から存在した加害車両の傷とを照合したものにすぎないとの趣旨の記述がある。しかし、本件全証拠によっても、この記述にある加害車両の傷がいかなるものであるか定かでない上、警察官が実況見分調書における被告渡辺享の指示説明を創作する特段の理由もうかがわれないから、この記述も採用することはできない。

2  この認定事実によれば、被告渡辺享は、加害車両を運転して三車線の道路の左端車線を走行していたのであるから、先行車両が左折するために渋滞したら直ちに停止するか、あるいは、右側にハンドルを切って回避する場合には、右ウィンカーを点灯させて後方車両に注意を促した上、中央車線を進行して来る車両の存在を十分確認してハンドルを切るべき注意義務が存在するのに、これを怠り、右ウィンカーを点灯させず、右後方を確認せずに漫然とハンドルを右に切った過失があるということができる。したがって、被告渡辺享は、民法七〇九条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任がある。他方、原告も、片側三車線の道路においては、進行方向に向かって最も左の車線を走行すべき注意義務があるのに、これを怠り、左折車両の渋滞を回避するためとはいえ、中央車線へ進路を変更した上、交差点内を不意の事態に対応できる程度まで十分に徐行することなく走行した過失がある。

これらの過失が競合して本件事故が発生したものであり、加害車両が普通貨物自動車であるのに対し、被害車両が原動機付自転車であること、加害車両が直進する被害車両の進行を妨害した事故態様であることからすると、被告渡辺享の過失が重大であるというべきである。そして、被告渡辺享の走行態様は進路変更とまではいえないこと、原告は、原動機付自転車で走行しながら最も左側の車線を走行し続けなかったことなどを考慮すると、本件事故に寄与した過失割合は、原告が二割、被告が八割とするのが相当である。

二  治療期間(争点2)

1  前提となる事実、証拠(乙二の1・2、四、五、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告の本件事故後の治療経過について、次の事実が認められる。

(一) 原告は、本件事故後、直ちに救急車で昭和大学病院へ搬送され、右肘頭骨折で全治三週間の見込との診断を受けた。この時点では、右肘全体に軽度の圧痛と発赤が認められ、腫脹と局所熱感も若干認められた。右肘の関節可動域は、屈曲で八〇度、伸展で二〇度であり、ギプスで患部を固定されたが、平成六年一〇月二八日には、入浴時のみギプスを外して関節可動域の訓練を軽度にすることができるようになった。なお、被告有限会社宮脇運輸が契約する保険会社の担当者は、同年一一月四日、昭和大学病院の医師から全治まであと二、三週間であるとの説明を受けた。

(二) 原告は、昭和大学病院は大学病院で時間がかかるなどの理由から、平成六年一〇月二八日を最後に同病院への通院を中止し、同年一一月七日から児玉整形外科に転院した。この時点ではギプスを外し、関節可動域は、三〇度から一〇〇度であった。その後、理学療法による治療を続け、関節可動域は、三〇度から一〇五度、さらには、二〇度から一二〇度、平成七年二月九日には一〇度から一三〇度、同年三月三一日には〇度から一四五度まで回復した(同年四月一八日付診断書においては、関節可動域は〇度から一四〇度と記載されている。)。

(三) ところが、原告は、平成七年五月五日に約二〇キログラムのラーメンの味噌の箱を両手で持った際に右肘に痛みが走り、関節可動域は一五度から一一〇度と小さくなった。しかし、原告は、児玉整形外科に転院した後は、毎月二〇日強の通院を続けており、関節可動域は、同年六月三日には一〇度から一四〇度、同年七月一七日には〇度から一四〇度まで回復した。そして、通院日数は同年八月が一六日、同年九月が一七日となり、同年一〇月は九日間通院して同月二〇日、右上腕・尺骨関節包圧痛が残存し、右肘の関節可動域が自動、他動ともに五度から一三〇度(左は〇度から一四〇度)、右握力が二四キログラム(左は四二キログラム)、神経症状はなく症状が固定した(ただし、握力・筋力の強化で改善の可能性がある。)旨の診断を受けた。

2  この認定事実によれば、原告は、本件事故後、平成七年一〇月二〇日まで平均して一か月二〇日以上通院していた上、右肘関節の可動域は、途中、重い物を持ったためにいったん小さくなったことはあったものの、治療経過全体としては順調に回復していたものであるから、同年一〇月二〇日までの治療は本件事故と相当因果関係を認めることができる。

被告らは、原告が、当初、全治約三週間の診断を受けていたこと、平成六年一一月四日の時点で全治まであと二、三週間であるとの診断を受けていたこと、治療により症状は改善され、平成七年四月一八日ころには右肘の可動域はほぼ正常域に近づいていたことなどを指摘して、原告の右肘は、遅くとも同年五月ころにはほぼ治癒の状態にあったと主張する。たしかに、症状は治療の経過とともに次第に改善し、右肘の可動域は、同年四月ころには、健側の正常域にほぼ近い状態に近づいていたということはできる。しかし、原告が約二〇キログラムの物を持ち上げたとはいえ、これによって痛みが走ったことは、同年五月ころにおいては、まだ、問題なく通常の労働を行うことができるまでには至っていなかったことを示すものといえる。また、初期段階での診断はあくまで予測にすぎないものであること、現実の通院頻度などを併せて考えると、同年五月ころにほぼ治癒していたとまではいえない。

なお、被告らは、原告の治療は症状改善の効果が上がっていたにもかかわらず、途中、増悪したのは原告が二〇キログラムもの荷物を持ったことに起因するとも主張する。これは、仮に、同年六月以降の治療について本件事故と相当因果関係が認められるとしても、原告の右の行為が治療の遷延化をもたらしたもので寄与した割合に従って損害額を減殺すべきであるとの趣旨を含むものと理解する余地もある。たしかに、原告が重い荷物を持ったことにより、順調に回復傾向にあった右肘の関節可動域がいったん小さくなっている以上、このことがその後の治療期間に影響を与えた可能性は否定できない。しかし、それほど期間を経ないうちに可動域が回復していることからすると、影響は必ずしも大きいものではなかったと考えることができる。したがって、この点は、損害額を寄与度に従って減殺するほどに治療期間や後述する労働能力喪失期間に影響を与えたとまでは認めるに足りず、若干を慰謝料の減額事由として考慮するにとどめる。

三  損害額(争点3)

1  休業損害(請求額八八四万円) 三六三万四五五三円

(一) 労務の対価分について

原告(昭和二五年四月二五日生まれ)は、本件事故当時、東京都品川区内に中華料理店「中華料理大公楼」とラーメン店「ラーメンショップさつまっ子」を経営する有限会社公友商事の代表取締役であり 年間一〇二〇万円の報酬を得ていた。有限会社公友商事は、事実上、原告と取締役である妻が経営しており 原告はラーメン店を、妻は中華料理店を事実上経営していた。本件事故当時、「ラーメンショップさつまっ子」は、年中無休の二四時間営業であり、原告と従業員五人が勤務していた。原告は、常時午後一〇時から翌日の午後二時まで勤務し、麺上げや仕込みなど従業員と同じ仕事を行っていたが、醤油ベースだけは原告が作成していた。(甲三、五、原告本人)。

この認定事実に加え、平成六年賃金センサス男子労働者・学歴計四〇歳から四四歳、四五歳から四九歳の平均賃金がそれぞれ年間六四九万〇三〇〇円、七〇三万五四〇〇円であることと対比すると、原告の役員報酬のうち、七〇パーセントに相当する年間七一四万円が原告の労務の対価分であると判断するのが相当である。

(二) 労働能力の制限について

原告は、本件事故後二、三か月間は、それまで原告が作成していた醤油ベースの作成方法を従業員に指導してまとめて大量に作成させたほかには、店舗の現場での労働はしていなかった。その後は、店舗にも出るようになり、管理業務を中心に右腕に差し支えのない範囲での業務を行うようになった。(原告本人)

原告は、本人尋問において、ギプスが取れてから半年間くらいは右腕が肘のところから四五度の角度になったまま伸ばすことも曲げることもできなかったとも供述するが、二1で認定した関節可動域の内容と整合せず採用できない。

右の認定事実に加え、既に認定した原告が通常行っていた業務内容(三1(二))、症状の経過(二1、特に平成七年四月ころには右肘の関節可動域が正常域に近づき、同年五月には約二〇キログラムの箱を持とうとするまでの状況になっていたこと)及び通院頻度を総合すると、原告は、平成六年一〇月二〇日から平成七年一月末日までの一〇四日間は平均して八〇パーセント、平成七年二月一日から同年五月末日までの一二〇日間は平均して五〇パーセント、平成七年六月一日から同年一〇月二〇日までの一四二日間は平均して三〇パーセントの限度で労働能力が制限されたと判断するのが相当である。

(三) 本件事故に基づく傷害により、原告に現実に減収があったか否かは本件全証拠によっても定かでない。しかしながら、原告は、労働能力の制限を受けた限度で労務を提供することができなかったのであるから、原告は、取得していた役員報酬のうち、労務の対価に相当する七一四万円を基礎として労働能力の制限を受けた限度で休業損害を被ったと判断するのが相当である(被告らも、現実の減収の有無を問題にはしていない。)

したがって、この労務の対価分を基礎収入として労働能力が制限された割合を乗じて原告の休業損害を算出すると、三六三万四五五三円(一円未満切捨)となる。

7,140,000×(0.8×104+0.5×120+0.3×142)/365=3,634,553

2  逸失利益(請求額二〇四万円) 〇円

原告は、昭和五七年五月三一日に交通事故に遭って右肘剥離骨折の傷害を負って手術を受け、右肘関節機能障害(疼痛を含む)の後遺症が残存し、自賠責保険において、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級第一二級六号に該当する旨の認定を受けた。また、平成一〇年一月においても、右肘を伸ばすことにおいては支障がないものの、曲げることについては引っかかるような感じがあり、定期的な痛みもまだあるが、仕事には支障はない。(乙二の2、四、原告本人)。

この認定事実に加え、二1(三)で認定した事実を総合すれば、症状固定時において、原告の右肘は健側とまったく同程度の状態とまではいえないが、労働に支障がない程度まで回復しているのであるから、労働能力を一部でも喪失しているとまではいえない。

したがって、逸失利益は認められない。なお、若干の症状は残存しており、この点は慰謝料で若干考慮する。もっとも、原告は、昭和五七年五月三一日に交通事故に遭って右肘剥離骨折の傷害を負って手術を受け、右肘関節機能障害(疼痛を含む)の後遺症が残存し、自賠責保険において、自賠法施行令二条別表の後遺障害等級第一二級六号に該当する旨の認定を受けており(乙二の2、三の3、四)、残存している若干の症状は当時残存した後遺障害である可能性がある。もっとも、原告は、本人尋問において、前回の事故後二、三年でまったく元通りになったと供述するが、右の認定内容に照らすとそれほど早く症状が消滅するか疑問があり、直ちには採用できない。しかし、前回の交通事故から本件事故に遭うまでに一〇年以上が経過していることを考慮すると、認定された後遺障害の内容及び程度、それが残存していた部位、現在残存している若干の症状の内容及び程度を考慮しても、残存した若干の症状と本件事故との間に相当因果関係があることを左右するには足りないというべきである。

3  慰謝料(請求額一九〇万円) 一四〇万円

症状、入通院期間、右肘の可動域にわずかに制限が残存していることに加え、原告が治療途中に約二〇キログラムの荷物を持ったことでいったんは症状が増悪したことを総合すると慰謝料としては一四〇万円を相当と認める。

4  原動機付自転車修理費用(請求額三万〇四六七円) 三万〇四六七円

争いがない。

5  時計(ブルガリ)代(請求額一〇〇万円) 〇円

原告は、本人尋問において、本件事故の五、六年前に知人の渡辺範生から四五〇万円ほどのブルガリの時計を五〇万円で譲り受けたが、本件事故の際に破損したと供述し、破損したブルガリの時計を撮影した写真が存在する(甲四)。

しかし、この時計が修理不可能で全損であったとしても、損害額は購入価格よりも安くなるのが通常であるが、原告が供述する購入金額は損害額の半分にすぎない。また、原告は、時計の存在について、この時計を修理することができるか否か海外に送って調べてもらうために渡辺範生に渡したが、渡辺範生に連絡が取れなくなってしまい現在は手元にないとか、渡辺範生については、ブローカー的な仕事をしている人物であり印刷関係の仕事を継ぐため北海道へ帰ったと聞いているなど、高額な時計の所在と購入先という重要な点についてあいまいな供述をしている。したがって、原告が本件事故当時ブルガリの時計を所有し、かつ、本件事故によりこれを破損したことに関する原告本人の供述は直ちには採用できない。

また、ブルガリの時計を撮影した写真にしても、それが、原告が所有していた時計を写したものか否か定かではなく、その他、原告が、ブルガリの時計を所有し、これを本件事故により破損したと認めるに足りる証拠はない。

6  過失相殺及び損害のてん補

1、3及び4の損害合計額五〇六万五〇二〇円に、治療費(文書料を含む)七九万八三八〇円(乙二の2)を加えた損害総額五八六万三四〇〇円から、本件事故に寄与した原告の過失割合として二割を減ずると、四六九万〇七二〇円となる。

この金額から、原告が自賠責保険及び被告らから支払を受けた一九〇万円を控除すると、原告の損害額の残金は二七九万〇七二〇円となる。

7  弁護士費用(請求額一三〇万円) 三〇万円

原告は、本件訴訟の追行を原告訴訟代理人に委任したもので(弁論の全趣旨)、本件認容額、審理の内容及び経過等に照らすと、本件事故と因果関係のある弁護士費用としては三〇万円を相当と認める。

第四結論

以上によれば、原告の請求は、被告宮脇運輸株式会社に対しては自賠法に基づく損害賠償として三〇六万〇二五三円、被告渡辺享に対しては不法行為に基づく損害賠償として三〇九万〇七二〇円(このうち、三〇六万〇二五三円の限度で被告宮脇運輸株式会社と連帯債務となる。)、及びこれに対する平成六年一〇月二〇日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

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